2014年8月23日土曜日

一本のけん玉に潜むドラマ(1992年10月8日)

押入れを掃除していたら、1枚の機関誌(社医学競技けん玉クラブ)が出てきました。
発行は1992年11月1日

その中に、1992年10月8日の毎日新聞の記事が紹介されていました。
そこには、フランスでの感動が書かれていました。
以下の内容です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

日本けん玉協会会長・作家 藤原 一生 「私見/直言」

一本のけん玉に潜むドラマ

一本のけん玉から三万以上の技が生まれるといっても、疑いの目をむける人が多い。
 日本けん玉協会の創立は一九七五年五月五日。一年後の一周年記念のプログラムを見ると、「ウルトラC100)のキャッチフレーズが人々の目をひきつけるように大きく書き出されている。
 それが創立五周年記念の記録を見ると「ウルトラC200」になり、八五年の創立十周年となると二万という数字に大変身している。
 現在ではそれが三万以上に達しているが、これらウルトラCの名人技は日本けん玉協会の名人たちが頭をひねって作り出したものではない。
 けん玉を楽しんでいる日本中の無名の少年少女たちが、その発明発見の主流をなしている。
 けん玉のみごとな技の発明発見の動機も、一般発明界と少しも変わることはない。その多くは”偶然の発見”が多い。
 一般の発明発見の世界では、「ふべんなこと」から追求してゆくドラマが潜んでいるが、けん玉の世界では”遊び”の中から今まで思いもしなかった技が不意に目の前に出現することがある。
 一瞬の感動が、次のウルトラC発見へとつながってゆく。
 その成功のドラマも計算のもとに作られるものではない。たえず追い求める心が、目に見えない糸をたぐっているのだ。考える心の中から新しい考えもにじみ出てくる。創造力の豊かなドラマへと転じて行く。
 すばらしい技は技を呼ぶだけではない。人々の目をひきつける技は、また、思いがけない感動の輪を呼ぶ。
 今春三月、パリの日本人学校伝承活動のひとコマ、ひとコマがくっきりと目に浮かんでくる。
 体育館に足をふみいれると、全校生徒の声がどっと上がった。日本けん玉協会のこともよく知っていた。
 喜びと感動の半面、なぜ、この遠いフランスの地までけん玉の輪がひろがったのか、その波及のなぞに一瞬、心の動きが止まった。しかも、大半の子がけん玉を持っていて、級・段認定の技を楽しんでいる。
 はじめて見る楽しいゲーム、ニューウルトラCに燃え、燃え、大歓声がこだました。
 別れるとき、一列にならんだ子どもたちの一人ひとりの手が熱っぽく汗ばんでいた。私にとっても、幸せの一瞬であった。
 「けん玉のひびきは平和のひびき」。私の大好きなキャッチフレーズである。この美しい響きを守り続けなければと思う。

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