2010年2月4日木曜日

けん玉との出会い

私は、けん玉と高校の時に出会いました。
それは物理の高校の先生からの紹介でした。
物理が好きなら、けん玉をしたら?と。けん玉の重力、運動エネルギー、位置エネルギー、モーメント、ベクトルなどを書いていったら、1冊の本になると言われたのを覚えています。

小学校の頃にヨーヨー(アメリカンヨーヨー)が流行り、かなりしたのですが、翌年には流行からはずされため寂しい思いをし、何か流行に関係なく、ロングラン でできるものはないものか?と思っていたところに、この話があり、さっそくけん玉を購入しました。
そのときにはけん玉の種類があることも知らず、けん玉愛好会のけん玉を購入したのでした。

北海道の旭川の北に位置する士別市で生まれ育ったので、周りにけん玉の名人はいませんでした。そういう中で、独自のけん玉の技を自分流でしていました。
当時 「灯台」、「さかおとし」までは、自己流でしていました。高校時代は吹奏楽局、新聞局、写真部に所属し、その合間にけん玉をしていました。
家での勉強で眠 くなるとけん玉。気分転換にけん玉をしていました。
当時の技量は、おそらく1級位のレベル(日本けん玉協会での段位認定に基づく)だったと思い ます。
「灯台」ができると周りの人がびっくりするので、天狗になっていたようにも思います。

日本文化の一つとして、子供から大人、さらに70,80歳になってもできるもの。
老後まで続けられるもの。
ここにけん玉のよさを感じます。
子供だけの遊びではなく、3世代がいっしょに楽しめる!
今の時代に100年以上の歴史を持ち、長く続いてきたものには深く味わいのある世界がある!
と確信し、今も続ける私でした。(50+△歳)

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