最も遠くて古い一番美しい僕の記憶の映像
妹が亡くなる前に、僕はオヤジの帰りを妹の手をこう行ったことがありますが、
夕焼けがとてもきれいな、そういう妹の手を引いて、オヤジの帰りを迎えに行った夕焼け色っていうのが、非常に印象的でしたね。
で、あの、、。
さっきも言いましたように、「食卓がない」ってことは、町の一膳めし屋を食っていたってことですね。ず〜っとね。
で、その妹がまもなく亡くなるんですね。
僕が4つぐらいの頃だと思うんです。
妹が2つくらいの時だったでしょうね。
僕は時々目をつぶってですね。
自分の遠い昔の本当に古びれたアルバムじゃないけれど、遠い昔の過去をですね、さかのぼる旅をすることがあります。
作家としてね。
人間というのは、どのくらいの純粋な思い出があるか?
私は幸いなことにおばあちゃんとか、おじいちゃんがいません。
両親もいませんね。
オヤジからまともな話を聞いた事がないから、過去を全く知りません。
しかも、アルバムもありません。
ですから、目に浮かぶものは純粋なものであるという証明をもてるのは、一般の人よりも幸せだっと言える訳です。
僕は。
そういう点で作家という要素が与えられている訳なんです。
目をつぶると細い二本の線が浮かびます。
それは何かと言うと、妹を焼いた後の火葬場で、二本の箸で妹の骨をつまみ上げた、僕が4つぐらいの映像が一番古い記憶の映像なんですね。
そこがまた詩的であり、詩のようであり、一番美しい映像でもあるんです。
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