2013年1月22日火曜日

藤原一生先生の講演その20


夕焼け色の秘密とオヤジの死


法務省から依頼が来て
独房に入っている少年院、あるいは大人の刑務者の人たちにラジオで講演をしてくれと頼まれたのですが、ラジオでは開けてしまうからカセットにしてくれと法務省から依頼があってね。
「結構ですよ。」って言ってね。

特にそのダメだった人間、ダメだったアル中だったオヤジが空襲で死にます。
3月10日の空襲で死にます。
私が復員したのは同じ昭和20年の12月25日に復員した訳です。
復員して3日間歩いてオヤジの遺体を探してしまうんですね。
そういう奇跡のドラマをまた後日いつかお話しましょう。
これが僕の例の夕焼け色の秘密でいう演題なんです。

とにかく10万人の人が死んで、上野で死んで土葬になっているんですね。
錦糸町で、埋まってました。
オヤジの土葬のね。
なんでオヤジってわかるのか?
藤原って書いてあるんですね。番号がふってあって。
これぐらいの木に書いてある。
それで、オヤジに帰ってきたよって
ひたひたって音だな。
足が老婆だなってわかりましたね。
もう薄べったいね。
ぱーんと割れるような鼻緒がね。
元はピンク色だったのでしょうけど、今は白にピンクがかっているくらい。そういうおばあちゃんの足下のぱあっと開ける裾がね。
あれは浴衣ではないんだけどね。
着物なのかな?それを着ているおばちゃんが立っているのがすぐわかったんですね。
僕は砂をいじってましたから。

オヤジなんで死んでしまったのか?
戦時に行った僕がなんで帰って来たのか?
なんで内地にいるオヤジが死ぬんだ?と。
ってしゃべってたんですね。

でその足音が近づいて
「どなた?」って声が流れました。
でどなたってことは、あなたの誰ですか?ってことですね。

「オヤジです。」

「良かったわね。」過ぎ去った足がぱっと止まってね。
また、「どちらから?」
これは暗号的な標語ですが、町歩くと軍服着てね。
それは満州からですか?こくしからですか?南方からですか?とかそういう意味なんですね。
そういう意味で聞かれるんです。
「こくしからです。」
「良かったわね」っておばあちゃん。

町の脂っ気のない髪でね、1メートル48ぐらいの低いおばあちゃんが、か細いおばあちゃんが横に右に歩いて行くんですね。

真っ赤な夕焼けの、本当に大きな夕焼けでしたね。

鳥も飛んでない。終戦後の、本当に鳥も飛んでなかったですね。
そういうような真っ赤な夕焼けに
おばあちゃんのシークレットが吸い込まれて行くんです。

髪の白さだけがきれいでしたね。
真っ赤な夕焼けの中にね。

そういう印象がね、すごく未だに僕の中に残っております。

僕の21歳の時のドラマです。

そのおばあちゃんが、右に左に首を動かしているということは?
よろしいですか?
昭和20年の3月10日の空襲の日から、その夜から。
その朝からずーっとご亭主か、娘か、あるいは息子か知らないけれども、自分の家族の遺体を探して歩き続けている後ろ姿なんですね。

その名前を追いかけながら歩いている。
僕はその時にね、
本当に涙があふれたんですね。

その時のおばあちゃんの後ろ姿が何度も映りましたけれども。

とにかく、僕は帰ってくること自体が奇跡でしたよね。

0 件のコメント:

コメントを投稿